大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(ラ)180号 決定

抗告人 原田知仁

相手方 大村貴代子

事件本人 大村なつみ 外一名

主文

一  原審判を取り消す。

二  本件を長野家庭裁判所に差し戻す。

理由

本件抗告の趣旨及び抗告の理由は、末尾添付の別紙即時抗告の申立書のとおりである。

一件記録を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  抗告人と相手方が婚姻してその間に事件本人両名が出生したこと、その後抗告人と相手方が離婚するに至つた経緯、抗告人、相手方及び事件本人両名のその後の生活状況、抗告人及び相手方の事件本人両名の監護養育についての希望等については、原決定がその理由中に説示したところ(原決定二枚目表三行目から三枚目裏一二行目まで、ただし、二枚目表一一行目の「不渡りにして」から末尾までを「不渡りにし、同月二七日頃倒産した。」に、同裏二行目の「迫り」から「支払をしたこと」までを「迫つたこと等」にそれぞれ改め、三枚目表一〇行目の「清算が」の次に「完全には」を加え、同一二行目の「申立人が」から同一三行目の「また、」までを削り、同裏八行目の「口数は」から同一一行目の「両名共、」までを「相手方の父辰男は田畑合計一町歩ほどを所有して耕作しているが、その妻正代ともども、」に改める。)と同一であるから、これを引用する。

2  昭和六〇年四月、事件本人なつみは中学校に進学し、同美鈴は小学校五年に進級したが、今後も相手方のもとに戻り生活を共にする意思が全くない旨を表明している。

3  抗告人は、収入その他の生活環境の点においても、また事件本人両名に対する愛情の点においても相手方に劣るものではない。

以上の事実が認められる。

ところで、親権は未成年者の利益のために行使されるべきであつて、特別の事情の存しない限り親権を行う者と監護養育に当たる者とは一致させるべきであるところ、前認定の事情のもとにおいては、抗告人と相手方の事件本人両名に対する監護能力・環境等に格段の差があるとは認められないから、本件親権者変更が事件本人両名の利益・福祉に合致するか否かの判断にあたつては、更に、事件本人両名が相手方と生活を共にすることが実現可能なのか否か、不可能であつても相手方を親権者とすべき特別の事情が存在するのか等について十分検討する必要があり、また、事件本人両名の前認定のような意思を尊重して、その将来の幸福のためにどのようにすればよいのかについて、抗告人及び相手方双方に冷静に再考し、話し合いによつて解決する機会を与えるのが事件本人両名の福祉にそうものと考えられる。

よつて、以上の諸点について十分な検討を加えずに本件申立てを却下した原審判は失当であり、本件即時抗告は理由があるから、家事審判規則一九条一項に従い、原審判を取り消して、更に審理を尽させるために本件を長野家庭裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 豊島利夫 裁判官 新村正人 赤塚信雄)

抗告の趣旨

原審判を取消し、本件を長野家庭裁判所飯田支部に差戻すとの裁判を求める。

抗告の理由

一 原審判は、事件本人等の意思と現在の事件本人等の養育の実体を全く無視した不当な審判である。

二 親権変更の当否を考えるに当つては、幼児ならともかく、事件本人等のように一定の年齢に達し、自己の意思を表明することができ(事件本人なつみはこの四月から中学生であり、事件本人美鈴はこの四月から小学五年生である)、その意思表明が他からの強制でなく、自発的になされている場合には、この意思を尊重することが、子供の利益及び福祉に合致するものである。そして、事件本人等の自ら望んでいる現在の生活が経済的にも安定し、養育の環境にも特に子の福祉上問題がなければ、現に養育している実父である抗告人に親権を変更するのが相当である。

三 原審判においての事件本人の供述、事件本人なつみの供述、事件本人等の裁判官宛の手紙等からも明らかのように、事件本人等は自らの意思で抗告人との生活を強く望み、東京から抗告人方に自分等の意思で帰り、抗告人と生活しているものであり、そして現在の生活に満足しておるものである。そして母である相手方に行くことを強く拒否しているものである。

抗告人は、経営していた会社が倒産したとはいえ、現在では他の職業につき、月収二五万円はあり、ほぼ全額を生活費に当てることができ、また事件本人等に愛情をもつて接しており、事件本人等の養育状況に特に問題はないのである。

四 原審判が告知され、事件本人等がこれを知り、二月二二日に登校中に母親に実力で連れ去られるのを恐れ、登校拒否をした。そして、二月二三日の朝も登校はいやだといつているので、抗告人の弟原田征四郎は、事件本人等に母親に無理に連れ去るようなことはしないように話をしてやるからと説得して登校させた。そして、二月二三日夕方原田征四郎は、母親と事件本人等をあわせ、子供達は自分の意思を母親に伝えた。事件本人等は母親に対して、無理に連れ帰らないこと、学校に来て欲しくないこと、父親と生活をし、今の学校を変更することはしないで欲しい(相手方は、原審後学校に対し親権者であるとして転校の申入れをした)の要望を出していた(別添、原田征四郎作成の陳述書)。

原審判後、事件本人等は、当職に裁判官宛手紙を託している(別添事件本人等の手紙)。この手紙でも事件本人等は母親の方に行くのは絶対いやだと言つており、どうしても母親のところへ行けというならどこかに行つてしまいたい、といつており、父親との生活を望んでいるのである。

五 以上の事実からして、事件本人等の親権は、相手方から抗告人に変更すべきもので、これを却下した原審判は取消されるべきである。

〔参照〕原審(長野家飯田支 昭六〇(家)六三、六四号 昭六〇・二・一五審判)

主文

本件申立を却下する。

理由

一 申立人は「事件本人両名の親権者を、相手方から申立人に変更する」との審判を求め、その申立の理由は、別紙添付の家事審判申立書の「申立の実情」に記載のとおりである。

二 よつて、検討するに、本件記録並びに当事者双方審問及び当裁判所支部調査官の調査結果によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 申立人と相手方は昭和四七年四月一二日婚姻し、同夫婦間に事件本人両名が出生したが、申立人と相手方は、昭和五九年一〇月一九日長野家庭裁判所飯田支部の家事調停期日において調停離婚し、その際事件本人両名の親権者を母である相手方と定めた。

(二) 申立人は昭和五六年頃から土木建築業を営み昭和五八年有限会社○○建設を設立し、自分が代表取締役に就任したが、昭和五九年に至り営業資金に窮するようになり、同会社は同年一〇月六日自社振出の約束手形を不渡りにして倒産した。

(三) 申立人ら夫婦は不仲ではなかつたが、前記会社の倒産に当り、その債権者が申立人らには特段の資産もなかつたことから、相手方の肩書住所地に居住する同人の親夫婦(大村辰男、正代)に債権の取立を迫り、辰男が数百万円の支払をしたことから、相手方は離婚を決意するに至り、前記のとおり当裁判所支部で調停離婚が成立した。

(四) 相手方は、離婚前後頃からは、肩書住所地に事件本人両名を連れて、自分の両親と同居していたが、前記会社の経理事務を担当したこともあつて、債権者の一人の取立の追及が激しいのを逃れて、同月二一日頃妹を頼つて東京都江東区○○×丁目××番×号にアパートを借り受けて、事件本人両名と共に移住して生活し、昼間は近くの飲食店の従業員として勤務し、右両名は同区立○○小学校に転学させた。

(五) その間、申立人は一、二回事件本人両名と面会に来ていたようであるが、同年一二月二六日突然右両名は新宿から飯田市行きの直通バスに乗り、○○○で下車し、申立人に電話して同人に迎えに来させ、以後申立人宅で同人と起居を共にし、昭和六〇年一月の第三学期からは、転居前通学していた○○小学校に長女なつみは六年生として、二女美鈴は四年生として通学している。

(六) 申立人は国鉄飯田線○○○○駅近くの肩書住所地に事件本人両名と三人で生活し、朝は自動車で右両名を前記小学校まで送つている様子であり、前記会社倒産後は自動車修理販売業を知人と共に営み、月収約二五万円を得ているが、未だ前記会社を経営していた当時、個人保証した多額の金銭の清算が片付いていない。

(七) 事件本人両名は、申立人が子に甘い性格であるのに対し、相手方は躾に厳しい面もあるためもあり、また、東京での生活が不満足なものであり、現在通い馴れて友達も多い○○小学校に復帰したせいもあつてか、今後共申立人と生活することを望んでいる。

(八) しかし、相手方も事件本人両名の教育、監護の面を考えて、昭和六〇年二月からは東京を引き揚げて再度両親の許に帰郷し、○○○○病院に給食婦として勤務しており、その勤務時間は昼間であつて日祭日は休日である。相手方は右両名を自分の手で監護養育することを強く望んでおり、口数は少いが、地味な堅実な性格であり、給食婦としての月収は一〇万円位であるが、父辰男は田五反歩、桑栽培を主とした畑四反歩を所有して耕作し、同人は六一歳、妻正代は六〇歳であり、両名共、事件本人両名の日常の世話をすることを厭つていない。

以上の事実を被此勘案すると、現在のところ、事件本人両名の意思に反する面もあるが、右両名の利益及び福祉のためには、依然として、右両名を母である相手方の親権の元で、その膝下に置いて監護養育し、将来に亘る健全な身心の発達を図るのが相当であると認められ、その親権者を相手方から申立人に変更すべき必要があるとは認められない。

よつて、本件申立は理由がないから、これを却下することとし、主文のとおり審判する。

申立の実情

一 申立人は、相手方の両親と昭和四七年四月一二日養子縁組をなし、同時に相手方と婚姻届をなした夫婦であつた。申立人と相手方間には長女なつみ(昭和四八年二月二一日生)、次女美鈴(昭和四九年五月七日生)があつた。

二 申立人は土建業を営む会社を経営していたが、昭和五九年秋頃営業不振になり、倒産必至の状態になつたところ、養親は不債の支払等で責められることを免れるため、申立人に離縁の申入れをするに至り、これを了承することにしたところ、養親及び相手方は離縁及び離婚の調停の申立をなした。尚、申立人と相手方との間には、円満にくらしており、離婚に該当するような事由は全く存在せず、事件本人等も申立人に良くなついており、父親としてしたつておつたものである。

調停は昭和五九年一〇月一九日に行われたが、養親及び相手方らは強引に離縁及び離婚をせまり、申立人は会社の整理等のことで頭が混乱している状態の中で離婚・離縁に同意し、事件本人らの親権者を相手方とすることに同意した。親権を決めるについては事件本人らの意思を確認するとか、両親が離婚すること等について話をするとかのことも全く行わなかつたものである。また、離婚については、調停期日以前に申立人と相手方とが話し合いをするとかいう機会ももたれなかつたものである。養親の意向によつて別れさせられたという状態であつた。

三 申立人と相手方との離婚に関しては、相手方は飯田市に住み、事件本人らには定期的に面接させるという約束があつた。

相手方は離婚後直ちに事件本人らを連れて行方をくらましたが、申立人は手をつくしてさがしたところ、相手方は肩書地に居住し、事件本人らは○○小学校に通学していることが判明した。

申立人は、事件本人らと面接したところ、事件本人らは両親の別れたことに反対であり、東京の生活は嫌だから、お父さん連れて帰つて、という状態であつた。また事件本人らは祖父母の意見によつてこのようなことになつたと信じており、祖父母をうらむといつていたが、申立人は、それは、お父さんが会社を倒産させたので、お父さんが悪いのだと説明しても納得せず、申立人の乗用車に乗つて帰ろうとするのでとどめてきた経過があつた。

四 昭和五九年一二月二六日、事件本人らから突然電話があり、○○○駅に迎えに来てくれと電話があり、行つてみると事件本人らは二人だけで帰つてきており、お父さんといつしよにくらしたいということであり、絶対東京の母親のところには帰らないということであつた。そこで申立人は事件本人らを養育することを決意し、三人の生活を始めた。

五 事件本人らが申立人方に来たのは学校の冬休み中であつたので、新学期から○○小学校に通学する手続をとり、東京の○○小学校の了解もとり、現在○○小学校に在学中である。

六 事件本人なつみは現在小学校六年生であり、事件本人美鈴は小学四年生であり、自分達で意思を表明する能力を有しており、東京から帰る際も二人で相談して、父親である申立人方に来たものである。そして事件本人らは父親と生活することを強く望んでおり、母親である相手方に行くことを強く否定している。

七 申立人は会社の倒産という事態を招いたが、今では別の仕事(自動車修理販売)に従事し、安定した生活を送つており、事件本人らを養育し、幸せな生活を送つている。

尚、事件本人らは、申立人と相手方が復縁することを強く望んでおり、申立人もそれを希望している。

以上の次第であるので、事件本人らの親権を相手方から申立人に変更するのが相当であるので親権変更の審判の申立をする次第である。

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